私の考える一流コンサルタントの条件

こんにちは。岡村憲之です。今日は私の考える一流コンサルタントの条件
についてお話します。

私は経営コンサルタントという仕事を長く続けており、この仕事が大好きで
誇りを持っています。しかし、コンサルタントには資格がなく、誰でも名乗る
ことができるために、クォリティの面で玉石混交となっていることに憂慮して
います。

そこで、一流という言葉が適切かどうか迷うところではありますが、比較的
イメージしやすいので、私の考えるクォリティの高いコンサルタントという
意味で、一流コンサルタントの条件をご紹介してみたいと思います。

【一流コンサルタント7つの条件】
・一流コンサルタントとは、経営理論、マーケティング理論を
体系的に語れて、実践できる人である
・一流コンサルタントとは、時流の半歩先を読み、チャンスと
リスクの確率を予測できる人である
・一流コンサルタントとは、ファイナンス理論により、投資と
回収についての意志決定ができる人である
・一流コンサルタントとは、特定の組織や個人に依存しないで、
中立な立場を保てる人である
・一流コンサルタントとは、上場企業の社長や役員レベルに対し
経営に関する適切なアドバイスができる人である
・一流コンサルタントとは、見知らぬ組織に入り込み、リーダー
シップを発揮して、組織や意識変革を実現できる人である
・一流コンサルタントとは、クライアントの要望に応じた価値を
提供して、それに見合った報酬を得られる人である

私は、最低限、上記の要件をすべて満たす人を一流コンサルタントと
考えております。一流コンサルタントの条件について詳しくは、
「一流コンサルタントの条件 岡村憲之公式サイト」
をご覧下さい。
これからコンサルタントを目指す人にも役立つサイトとなっています。

日本で最初のドラッグストアから関わる

こんにちは。岡村憲之です。今日は、ドラッグストアとの最初のきっかけ
についてお話します。

チェーンストアに対するコンサルティングの中でも、ドラッグストアは数多く
手掛けてきました。その最初のきっかけについて聞かれることも多いので、
お答えしたいと思います。

最初のきっかけは、当時、家電店の研究会を主宰していたのですが、その
視察先に、業界で有名だった薬局がリストアップされていました。そこを
訪れた所、ちょう日本で初めてとなる本格的なドラッグストアを開店する
ところだったのです。

以前より、アメリカではドラッグストアが医薬品小売業界の主役だったので、
私もとても興味を持っていました。日本にも本格的なドラッグストアが誕生
するというので、応援したいと思いました。

ドラッグストアを創るに当たって、急に大型店になるので、売場の商品構成に
困っているとのことでした。そこで急遽、私もお手伝いすることにしました。
具体的には、家電店などに案内して、ドラッグストアに並べられそうな商品を
探す手助けをしたのです。これがドラッグストアと関わるきっかけでした。

このドラッグストアは、日本で最初の本格的なドラッグストアが誕生したと
いうことで、大きな話題となり、全国からひっきりなしに見学に訪れるほどの
大反響でした。もうその頃の関係者は、皆引退してしまいましたので、
今では、あまり覚えている人は少ないと思います。

しばらくして、製薬メーカーから、医薬品(OTC)業界も、家電業界と同じ
ように大型店ができ始めたので、先行する家電業界の営業政策を学びたい
という依頼がきました。家電業界の経験に基づいて、製薬メーカーのマーケ
ティング戦略に関するコンサルティングをするようになりました。

アクティブ・コンサルティングを設立してからは、ドラッグストアからどんどん
コンサルティングの依頼が来るようになりました。メーカーも、製薬メーカー
だけではなく、化粧品メーカー、日用雑貨メーカー、食品メーカー、ベビー
関連メーカー、介護メーカーなど、ほぼすべての分野の業界へと仕事が拡大
していきました。卸会社からも多くのご依頼をいただきました。

チェーンストアとメーカー・卸会社を対立関係と捉えるのではなく、すべての
企業が消費者志向になるように、最初からバランスよくコンサルティングを
してきたことが、私のコンサルティングスタイルとなっています。

最初はそのことが理解できない業界関係者もいたのですが、時代が私の
コンサルティングスタイルに近づいてきてくれました。今では、チェーン
ストアとメーカー・卸会社が協力して、消費者志向を目指すのは、当然の
ことになっています。実に喜ばしいことです。

アクティブ・コンサルティングの立ち上げ

こんにちは。岡村憲之です。今日は、自らのコンサルティングファームである
アクティブ・コンサルティングの設立についてお話します。

勤務先のコンサルティングファームでの仕事はとても楽しかったのですが、
本当の意味で、クライアントの経営者と対等に向き合うためには、自らも起業して、
創業経営者にならなければならないと、ずっと考えていました。

そんなとき、勤務先で世代間対立に起因する、些細な内紛が起こったこともあり、
若手のコンサルタント、数名の同僚と一緒に独立することにしました。その時に、
設立したコンサルティングファームでは、自分より先輩だったコンサルタントと、
2人代表取締役制にしたのですが、これは本当に間違いでした。

私は対等だと思い、先輩は自分が上だと思ったらしく、経営方針などに関して、
ことごとく意見が対立して、社内が混乱しました。自分の人生の中で、いちばん
疲れた時間を過ごした時期です。結局、短期間で再び分裂してしまいました。

外部に向けての仕事ではなく、内部に関するもめごとにエネルギーを使うのは
とても大変でしたが、この苦労も、後から考えれば、経営者およびコンサルタント
として、その後の仕事で、組織づくりを考える上で、よい経験になったと思います。

その後、すぐに設立したのが、現在のアクティブ・コンサルティングです。今度は、
代表取締役は自分だけとなり、思い通りの経営をすることができました。
意思決定と行動の速さが功を奏して、新しいクライアントがどんどん増えました。

大手製薬メーカーや化粧品メーカー、チェーンストアなど、私のクライアントも、
すべて私を信頼して付いてきてくれたので、初年度から順調なスタートをする
ことができました。コンサルタントの仕事を始めて以来、いつも素晴らしい
クライアントに恵まれており、本当に幸せだと思います。

コンサルティングファームでの仕事

こんにちは。岡村憲之です。今日は、コンサルティングファームでの仕事
についてお話します。

百貨店を辞めて、少し充電してから、コンサルティングファームに転職
しました。そこでは、主に家電メーカーのマーケティングに関する仕事を
しました。新製品の市場導入や、チャネル戦略の仕事です。

当時はまだ家電量販店は、秋葉原が全盛の頃で、郊外型の量販店はなく、
家電メーカーのチャネル政策は、街の系列店に対する施策が中心でした。
家電メーカーの役員クラスと、全国の系列店を動かす施策を検討するのは、
とても面白い仕事でした。

百貨店という小売の現場で、直接、消費者と触れ合っていた経験が、大変
役立ちました。家電流通に詳しくなってきた頃に、郊外型の家電量販店が
誕生し始めました。家電量販店からの直接の依頼が来るようになりました。

その頃は、大店規制法があったため、量販店といっても、150坪に制限
されていました。150坪という制約の中で、店舗レイアウトを考えたり、
オープニング販促の企画を立てるのは、とても面白い仕事でした。

なにしろ、売るのは大好きだったのですから。1対1の接近戦で売るのも
楽しいのですが、チラシやイベントなどの空中戦の仕掛で売るのも、
とても面白かったです。

家電メーカーのコンサルティングも継続していたのですが、家電メーカーの
チャネル戦略も、次第に家電量販店中心へ変わっていきました。流通における
メーカーの役割が大きく転換する頃でした。

それからしばらくして、家電量販店でのコンサルティング経験に基づき、
より大型のホームセンターにも関わるようになりました。

トイザラスの日本進出に伴い、アメリカの圧力で大店法が撤廃されたため、
家電量販店も300坪、600坪、1000坪、2000坪とランクアップ
していきました。ホームセンターは、3000坪でした。

私も150坪から順次、ステップアップしていったので、2000坪や
3000坪の店舗も、ごく自然にコンサルティングできるようになって
いました。

アルバイトも就職も百貨店からスタート

こんにちは。岡村憲之です。今日は、私にとっての百貨店についてお話します。
昨日も書いたように、子供の頃から、本当に百貨店が大好きでした。

東京生まれで、仕事は東京でするつもりでした。そのために、学生時代は、
どうしても京都で一人暮らしがしたくて、大学は同志社大学に行きました。
中学、高校の2度の修学旅行で、とても京都が気に入ったのです。

1、2年は、それなりに勉強して、3年生からは、百貨店でアルバイトを
始めました。土産品やオルゴールなどの売場でしたが、外人のお客様も多くて、
毎日が本当に楽しかったです。

祇園祭の日には、百貨店の前の道路で、鉾の呼び込み販売をしたのですが、
それまでの最高記録を達成しました。販売が楽しくてたまらないし、誰にも
負けないという自信がついた頃でした。その百貨店のフロア長から、ぜひ就職も
うちに来なさいと言われたのですが、丁重にお断りして、東京の百貨店に就職を
決めました。

アパレルショップをやりたくて、アパレルの修行のつもりで勤めたのですが、
配属先はなぜか、タオル売場でした。できれば、忙しい売場にして下さいと
言ったのがいけなかったみたいです。百貨店では、中元、歳暮の商材がある
売場が、一番忙しいのです。

それでも、ジバンシーやバルマンなど、ブランド品を選定したりして、アパレルに
近い要素もあり、楽しかったです。そして、あるコンサルタントの講義を受けて、
自分でアパレルショップをやるより、コンサルタントのほうが魅力的だと思ったのが、
コンサルタントになるきっかけでした。

最初から長く勤める気はなかったので、3年強で百貨店を辞めました。百貨店は
大好きでしたが、入社と同時に定年の姿が描けるような人生は絶対に嫌でした。

流通業界のコンサルタントになった理由

こんにちは。岡村憲之です。今日は、私がなぜ流通業界を主な活動分野とする
コンサルタントになったのかをお話します。

マーケティング戦略をテーマとしたブログなのですが、少し前に私がコンサル
タントになったきっかけを書いたところ、私自身についてもっと知りたいという
ご要望を頂戴しました。そこで、今回は、もう少し自分のことについて書くことに
しました。

ひとことで言うと、子供の頃からスーパーマーケットと百貨店が大好きだった
からです。小学生の頃、はじめて友達と子供だけで遠足のお菓子を買いに、
日本型GMSの食品売場に行ったときの楽しかったことは、今でも覚えています。
セルフセレクションで、カゴに入れたり出したり、自分たちだけで、本当に
楽しく品物を選びました。

口うるさい(?)親もいないし、お菓子屋のおせっかいなおばさんもいないのです。
子供心に、これが自由なんだと実感しました。それ以来、セルフセレクションの店は
自分の中で、おおげさにいうと、自由の象徴となりました。そして、コンサルタント
になってから、米国視察を繰り返すことにより、益々、その思いは強くなっています。

子供の頃に話を戻すと、日曜日はいつも母親が百貨店に連れて行ってくれたので、
百貨店が大好きでした。店の雰囲気は豪華に感じ、接客はとてもていねいでした。
レストランで食べるプリンアラモードに文化を感じたものです。いつも行っていた
百貨店の中なら、どこでも目をつぶっても走り回れるくらい、大好きでした。
日曜日に遊びにくるだけでなく、毎日ここにいたいと思っていたくらいです。

この頃から、自分の中で、コモデティグッズは、セルフセレクションで自由に買い、
高付加価値商品は、親切ていねいな接客を受けて買うという2極分化の価値観が、
無意識のうちに身についていたように思います。

このような日々を送っていたので、流通業界で仕事をするのは、本当に自然な
流れであり、必然だったのです。

コンサルタントになったきっかけ

こんにちは。岡村憲之です。今日は、私が経営コンサルタントになった
きっかけについて、お話しましょう。

最初のきっかけは、自分がまだ小学生だった頃に、ある雑誌でアンケート
ハガキを送ると、将来の職業適性を判断してくれるという企画がありました。
その答えが、経営コンサルタントだったのです。その時は、カッコイイ響き
だなあと思ったくらいです。そのまま潜在意識に沈めて忘れていました。

もの心がついた頃から他人に使われるのは絶対に嫌な性格だったので、
自分でビジネスを始めたいと思っていました。アパレルの修行のつもりで
入った百貨店で、あるコンサルタントの講義を受ける機会がありました。

その時に、突然、職業適性のことが頭に蘇りました。誰にも頼らないで、
自分の能力だけでビジネスを切り開くコンサルタントこそは、自分がやるべき
仕事だと確信したのです。そしてすぐに情報収集を始めて、経営コンサルタント
唯一の国家資格として、中小企業診断士というものがあることを知りました。

中小企業とついていることに、とても違和感がありました。自分は大企業を
中心にコンサルティングをするつもりだったからです。もし中小企業から依頼を
受けたとしても、大企業に育成できる実力がなければ意味がありません。

しかし、国家資格がそれしかなかったので、やむをえず、すぐに中小企業
診断士の通信教育に申し込みました。1年コースだったのですが、決めたら
待てない性格なので、交渉して教材だけ1年分すべて先にもらい、3ヵ月目に
試験を受けたら、運よく受かってしまいました。

実際にコンサルタント業界に入ると、中小企業診断士の資格なんてまったく
必要はなかったです。「士」とは付いていても、弁護士や会計士のような
独占業務はなく、一流のコンサルタントの多くは、資格など持たずに活躍
しているからです。コンサルタントは、実力だけの世界です。

自分も中小企業診断士の資格は取っただけで、その後、一度も役立てた
ことはありません。資格とは、無関係にコンサルタントをやってきました。
しかし、その時はこれで準備ができたと一人納得して、百貨店には3年強で
辞表を出し、その時点からコンサルタントの道を歩き始めることになったのです。